卒業しました。


ブルンと車で大阪戻って朝っぱらから晴れ着着て、お母さんと大学行っておじさんに迎えてもらって(何気におじさんとお母さん初対面。笑)、昨日、卒業しました。


晴れ着を着れたのは嬉しかった。いろいろ気にかけてくれる人もたくさんいたし、いろんな男の子に「きれいやん」てたくさん言うてもらえたし(自分でもびっくりするくらいたくさん。記録作れるぞうわーい)、写真も撮ったし、きちんと区切りをつけれたし、卒制の賞で表彰もしてもらえたし、先生にも感謝の気持ちを伝えることができた。でも、わたしはたったひとつやふたつのことが気になって、けっきょく、卒業証書を手渡されたら、誰にもたいして挨拶をすることもなく、謝恩会にもはなから出る気もなく、ただ慣れない晴れ着の締め付けと気疲れでズキズキ頭が痛くて、そそくさと帰ってしまって、それがあまりにも自分らしくて、おもしろいようなかなしいような変な気分で無性に泣きたくなった。
学生生活16年間、そのうちの半分以上は学校嫌いで、逃げて逃げてぎりぎりのところで踏ん張って、やっとこやってきて、普通に望めば目の前にあったものも場所のせいにして自分で拒んできて、今になって後悔してる。いや、後悔してるわけじゃなくてただ哀しんでる(だって、「〜すれば良かった」みたいな気持ちはほぼないから)。いや、そうじゃなくて、なんて言うか、ただ、当たり前にあるはずのものや気持ちが自分にはなくて、すごく惨めなのかもしれない。
これから先、自分が望まなくては「学生生活」はもう送れなくて、ここで終了したからわたしはきっと一生学校という場所が嫌いなままで、ずっとずっとそのままなんだ、拒んできたいろんなことの結果がここにあるだけなんだ、ていうことをひしひしと感じて、ただうろたえてるとでも言うか。よくわかんないけど。


けど、確かにそういう得られなかったものだけを見つめればきりがないほど焦ったりうろたえたりやるせない気分になったりもするのだけれど、でも、もちろん何も得られなかったわけもなくて、だいっきらいだった高校でも大学でも、もちろん中学校でも小学校でも、わたしにとってすごくすごくたいせつなものとか気持ちをしっかり根付かせてくれていて(たとえば本とか文字とかおじさんとか、部活で泣くとか喧嘩とか英語とかバイトとか、愛とか感謝とか喜怒哀楽とかそういうもの)、間違いなく、だからこそ今までがんばれてこれたし、今もがんばれてる。と思う。
ただ、今は区切ったばっかでどどんとやってきてうまく消化できてなくてかなしいむなしい気持ちになってるだけなんだ。とは思う。けど。うーん。。
そんなわけで、今日は妙な沈み方で1日ぼけーっとしていたらこんな時間になってた。ぼんやりとした気持ちはあっても決定打がないからうまく泣けない(けど、これも自分が招いたひとつの結果)。


それでも正直、大声はっては言えないけれど、学校行ってて良かったよ。学ぶことも腐りそうなほどたくさんの時間もいろんな経験もその時感じた思いも全部、今自分の中にあることが嬉しいよ。
ひねくれのどうしようもない子ちゃんだけれど、今までいろいろ支えてきてくれたたくさんの人への感謝の気持ちでいっぱいです。この人たちがいなければ、絶対に、今自分の中にあるものや気持ちのひとかけらも得られてないと思う。本当に。ありがとうって何百回言っても足りない。


と、ちゃんと区切り、の意を込めて、正直なところを書いてみた。まだまだ消化できてなくて全然うまく言えなかったけど。でも、きっとこれからもずっと変わっていくから、これはこれでありだと思う。